長編実録/忘れ得ぬあの日〜後編
2001/9/11(火)
AM5:25、、、半ば絶望的な朝を迎えとにかく会社に行く。
この時間の出発ならば通常時でもそのほとんどの航海を高速で行かなければ翌朝9時前までに約1,200キロ先の熊本県八代市に辿り着く事は困難である。だが、その頼みの綱の高速道路の交通状況は一夜経って悪化の一途を辿り深夜のうちに中央道周辺、上信越道周辺のルートも通行止になってしまっていた。勿論、それに伴う一般道路も全て、である。
最早、関東から西へ通常時すんなりと行けるルートは全て遮断されていた…。
しかし、納品先の工事現場は待ってはくれない。行き先は日本道路公団(当時)、延伸建設工事中の八代日奈久道路、日奈久料金所。積み荷は料金所入口に設置する「車両検知器」一式である。
我々が台風で身動き出来なかったなんて理由で工事そのもののスケジュールを遅らす事は決して許されないのだ。
しかしKさんと私は会社から動き出せる可能性を完全に失っていた。テレビの台風情報を見れば見るほど絶望感は増す。台風15号は勢力を衰えないまま、この日の午前中には関東に上陸するのが確定的だった。
なんとしてもそれまでに関東から脱出出来れば…出来なければもう社長に頭を下げ納期を延期してもらうしかない。が、それは事故を起こしたのと同罪、会社にも荷主にも大きな損害を与えてしまう。前日どんな夜遅くても、一旦帰宅せずに走り出し関東から脱出する手はあったのだから、このまま動けなければ適性な判断が下せなかった我々に責任が生じる事になる。
せっかく7月の事故で失った信頼を少しずつ回復し、再び会社に貢献出来いち運転手としても再びスキルアップしていく第一歩になる仕事だったのに、正に目の前の天気そのもの、暗雲が立ち込める。
会社の控え室から動き出せずに1時間以上、台風情報を見ながらKさんとひたすら打開策を練っていた。
社長に詫びの電話をいれるか…
もうひとつだけ、最後に残されたルートがあったが、”関西方面に向かう”にはあまりにも常軌を逸したルート「関越道〜長岡経由〜北陸道〜富山、金沢、米原経由〜名神高速…」であり大幅な迂回を強いられる為相当しんどい走り方になる。またこのルートを選んで遠く新潟、富山辺りで通行止でもくらったら全て無駄骨、目も当てられない惨めな結果が待っている事を考えると踏み出す事が出来ないでいた。
しかし、ここしかもう通れる道が全くない状況下、全く動かずに諦めてしまうより結果的に延着したとしてもとにかく向かおうという決意に至った。
ここで私の相方がKさんであった事が功を奏する。
会社の信頼の厚い”間違いのない”運転手がいる事が、渋々であるが社長にOKを出させた。
我々にとっても社長にとっても大きな賭けに出た。
指定着時間まであと25時間と少し、迂回をするので1,500キロ以上の道のりを走り切る、自身の運転手史上最大の航海が始まった。
AM7:05、、、神奈川県大和市の会社を出発。台風から逃げるように”北”へ向かう。台風15号は刻一刻と関東に迫り来る。そうと決まれば一刻も早く関東を脱出したいのだが、街中も著しい混雑で思ったようには進まない。相模原〜八王子〜福生〜羽村と国道16号のしんどい渋滞をくぐり抜け、当時の起点インターであった青梅ICから圏央道に乗る。
AM9:30、、、青梅ICから圏央道へ。正にこの時間、台風15号は鎌倉付近から上陸した!
なんとか高速に乗れた。暴風雨は強まる一方だが後は一気に走り切り関東から脱出するだけだ。
…となれば良かったのだがやはりそうは行かなかった。
頼みの綱の関越道、群馬〜新潟の県境である谷川岳の下を一気に突き抜ける関越TNが事故により通行止になってしまった…。
最早万事休すか…。
関東脱出最後の最後の砦、国道17号、三国峠に迂回すべく月夜野ICで一旦高速から降りざるを得ない。
我々と同様の考えでいる車は少なからずいた。月夜野ICで降りようとする車で約3キロの渋滞に35分をかけてしまった。
AM11:30、、、月夜野ICを下車。一路、三国峠越えに挑む。三国峠の通行止までの規定連続雨量は130ミリ。
走り出しの時点で120ミリ近い連続雨量が表示されていて一刻の猶予も許されない。素早く通過したいのだが、通行止の影響での車の量が多い上に所々法面が小さく崩れた箇所があり片側交互通行なってしまっていてとにかく進まない。峠の道中のトンネルはかなり狭く大型車との擦れ違いはかなり恐く慎重に走らなければならない道ではあるのだが、通常時なら小1時間程度で走破出来る三国峠だが1時間40分かけて湯沢ICに。
台風は各地に打撃を与えながら関東平野を縦断し東北方向へ進行していた。我々は台風から逃げ切り辛うじてなんとか関東脱出に成功した。湯沢側の雨量計は規定量まであと数ミリにまで達していて、あと1時間遅ければここも通行止になる所だった。
最後の最後の砦をギリギリで突破出来たのだが全く楽観は出来なかった。出発から約200キロの道のりに6時間も使ってしまっている。
PM13:10、、、湯沢ICから関越道に乗り直す。いまだ雨は強く降り続いているが、台風の直接の影響、雨による通行止はもうないと思われる。
大きな難関をひとつ突破し、気づけば運転開始から7時間ノンストップ、腹も減ってきていたし緊張感が途切れかかってきていた。
PM14:05〜30、、、北陸道大積PA(長岡市)にて初めての休憩、食事をとる。
再び走り出すが食事の後、極度の緊張感を脱した事もあったかもしれないが2人共睡魔に襲われてしまう…。
PM15:30〜16:15、、、北陸道蓮台寺PA(糸魚川市)にて45分の仮眠をしリフレッシュ。
甦った2台のトラックは気持ちを新たに雨の北陸道を一気に駆け抜ける。
PM18:30前後、、、だったと思うが米原Jctを通過し遂に遂に従来のルート名神高速に出た!
会社を出てから米原まで苦節11時間半…通常時ならば国道1号などを使って普通に走って来てもお釣りがくるのだが…関西に来るのにこれほど遠回りしたのは後にも先にもこの時だけだ。にしてもこの時我々と同じルートを決断し勝負をかけた運転手は一体どの位いたのだろうか?定かではないが先輩と2台、電話で鼓舞しあってこれたからこそ活路が見いだせたともいえる。
そして、滋賀県八日市辺りで遂に雨があがった。
私が知る限り、この時の名神高速下り線は最も車がいなかった。そりゃあそうだ、関東からの車が殆どいないのだからガラガラに空いているに決まっている。Kさんと電話で「まるで夜中の東北道だな!」などと笑いあったのだが、自分たちの頑張り、諦めない気持ちが結果を生んだのだが、まるで長い長いワープをしたかのようななんとも言えない不思議な光景に、感慨深さもひとしおだった。
とはいえ全行程のまだ半分にも達していない。気を緩める訳にはいかない。
事実、まだ順風満帆には走れない事態が我々を待ち受けていた…。
、、、まだまだ長くなりそうなので、もう一回、続く。
AM5:25、、、半ば絶望的な朝を迎えとにかく会社に行く。
この時間の出発ならば通常時でもそのほとんどの航海を高速で行かなければ翌朝9時前までに約1,200キロ先の熊本県八代市に辿り着く事は困難である。だが、その頼みの綱の高速道路の交通状況は一夜経って悪化の一途を辿り深夜のうちに中央道周辺、上信越道周辺のルートも通行止になってしまっていた。勿論、それに伴う一般道路も全て、である。
最早、関東から西へ通常時すんなりと行けるルートは全て遮断されていた…。
しかし、納品先の工事現場は待ってはくれない。行き先は日本道路公団(当時)、延伸建設工事中の八代日奈久道路、日奈久料金所。積み荷は料金所入口に設置する「車両検知器」一式である。
我々が台風で身動き出来なかったなんて理由で工事そのもののスケジュールを遅らす事は決して許されないのだ。
しかしKさんと私は会社から動き出せる可能性を完全に失っていた。テレビの台風情報を見れば見るほど絶望感は増す。台風15号は勢力を衰えないまま、この日の午前中には関東に上陸するのが確定的だった。
なんとしてもそれまでに関東から脱出出来れば…出来なければもう社長に頭を下げ納期を延期してもらうしかない。が、それは事故を起こしたのと同罪、会社にも荷主にも大きな損害を与えてしまう。前日どんな夜遅くても、一旦帰宅せずに走り出し関東から脱出する手はあったのだから、このまま動けなければ適性な判断が下せなかった我々に責任が生じる事になる。
せっかく7月の事故で失った信頼を少しずつ回復し、再び会社に貢献出来いち運転手としても再びスキルアップしていく第一歩になる仕事だったのに、正に目の前の天気そのもの、暗雲が立ち込める。
会社の控え室から動き出せずに1時間以上、台風情報を見ながらKさんとひたすら打開策を練っていた。
社長に詫びの電話をいれるか…
もうひとつだけ、最後に残されたルートがあったが、”関西方面に向かう”にはあまりにも常軌を逸したルート「関越道〜長岡経由〜北陸道〜富山、金沢、米原経由〜名神高速…」であり大幅な迂回を強いられる為相当しんどい走り方になる。またこのルートを選んで遠く新潟、富山辺りで通行止でもくらったら全て無駄骨、目も当てられない惨めな結果が待っている事を考えると踏み出す事が出来ないでいた。
しかし、ここしかもう通れる道が全くない状況下、全く動かずに諦めてしまうより結果的に延着したとしてもとにかく向かおうという決意に至った。
ここで私の相方がKさんであった事が功を奏する。
会社の信頼の厚い”間違いのない”運転手がいる事が、渋々であるが社長にOKを出させた。
我々にとっても社長にとっても大きな賭けに出た。
指定着時間まであと25時間と少し、迂回をするので1,500キロ以上の道のりを走り切る、自身の運転手史上最大の航海が始まった。
AM7:05、、、神奈川県大和市の会社を出発。台風から逃げるように”北”へ向かう。台風15号は刻一刻と関東に迫り来る。そうと決まれば一刻も早く関東を脱出したいのだが、街中も著しい混雑で思ったようには進まない。相模原〜八王子〜福生〜羽村と国道16号のしんどい渋滞をくぐり抜け、当時の起点インターであった青梅ICから圏央道に乗る。
AM9:30、、、青梅ICから圏央道へ。正にこの時間、台風15号は鎌倉付近から上陸した!
なんとか高速に乗れた。暴風雨は強まる一方だが後は一気に走り切り関東から脱出するだけだ。
…となれば良かったのだがやはりそうは行かなかった。
頼みの綱の関越道、群馬〜新潟の県境である谷川岳の下を一気に突き抜ける関越TNが事故により通行止になってしまった…。
最早万事休すか…。
関東脱出最後の最後の砦、国道17号、三国峠に迂回すべく月夜野ICで一旦高速から降りざるを得ない。
我々と同様の考えでいる車は少なからずいた。月夜野ICで降りようとする車で約3キロの渋滞に35分をかけてしまった。
AM11:30、、、月夜野ICを下車。一路、三国峠越えに挑む。三国峠の通行止までの規定連続雨量は130ミリ。
走り出しの時点で120ミリ近い連続雨量が表示されていて一刻の猶予も許されない。素早く通過したいのだが、通行止の影響での車の量が多い上に所々法面が小さく崩れた箇所があり片側交互通行なってしまっていてとにかく進まない。峠の道中のトンネルはかなり狭く大型車との擦れ違いはかなり恐く慎重に走らなければならない道ではあるのだが、通常時なら小1時間程度で走破出来る三国峠だが1時間40分かけて湯沢ICに。
台風は各地に打撃を与えながら関東平野を縦断し東北方向へ進行していた。我々は台風から逃げ切り辛うじてなんとか関東脱出に成功した。湯沢側の雨量計は規定量まであと数ミリにまで達していて、あと1時間遅ければここも通行止になる所だった。
最後の最後の砦をギリギリで突破出来たのだが全く楽観は出来なかった。出発から約200キロの道のりに6時間も使ってしまっている。
PM13:10、、、湯沢ICから関越道に乗り直す。いまだ雨は強く降り続いているが、台風の直接の影響、雨による通行止はもうないと思われる。
大きな難関をひとつ突破し、気づけば運転開始から7時間ノンストップ、腹も減ってきていたし緊張感が途切れかかってきていた。
PM14:05〜30、、、北陸道大積PA(長岡市)にて初めての休憩、食事をとる。
再び走り出すが食事の後、極度の緊張感を脱した事もあったかもしれないが2人共睡魔に襲われてしまう…。
PM15:30〜16:15、、、北陸道蓮台寺PA(糸魚川市)にて45分の仮眠をしリフレッシュ。
甦った2台のトラックは気持ちを新たに雨の北陸道を一気に駆け抜ける。
PM18:30前後、、、だったと思うが米原Jctを通過し遂に遂に従来のルート名神高速に出た!
会社を出てから米原まで苦節11時間半…通常時ならば国道1号などを使って普通に走って来てもお釣りがくるのだが…関西に来るのにこれほど遠回りしたのは後にも先にもこの時だけだ。にしてもこの時我々と同じルートを決断し勝負をかけた運転手は一体どの位いたのだろうか?定かではないが先輩と2台、電話で鼓舞しあってこれたからこそ活路が見いだせたともいえる。
そして、滋賀県八日市辺りで遂に雨があがった。
私が知る限り、この時の名神高速下り線は最も車がいなかった。そりゃあそうだ、関東からの車が殆どいないのだからガラガラに空いているに決まっている。Kさんと電話で「まるで夜中の東北道だな!」などと笑いあったのだが、自分たちの頑張り、諦めない気持ちが結果を生んだのだが、まるで長い長いワープをしたかのようななんとも言えない不思議な光景に、感慨深さもひとしおだった。
とはいえ全行程のまだ半分にも達していない。気を緩める訳にはいかない。
事実、まだ順風満帆には走れない事態が我々を待ち受けていた…。
、、、まだまだ長くなりそうなので、もう一回、続く。
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